間もなく広島につきます。見えているのは王頭山、左端に見える岩肌は、丁場(採石場)。
2021年11月7日「島を元気に!丸亀広島狛犬探訪からたどる歴史と魅力」~そして未来を考える~
が開催されました。
広島にはいろいろな地域から狛犬が入ってきています。全15対中、今回は9対を見に行きます

まず広島コミュニティーセンターにて島の歴史や地理などについて島案内人のみなさん、ジオガイド都築さんに伺いました。


続いて広島神社で「狛犬とは・・・」の説明の後、3対を観察


昼食の後、立石八幡神社へ。石造物を見て、江戸時代の尾上家や塩飽廻船業の繁栄を感じました。
尾上家先代は大坂橘屋の船の沖船頭をしていました。後にのれん分けをしてもらい廻船業をはじめました。拝殿の玉垣に「大坂橘屋」「八幡丸吉五良」の銘が見られます。3代にわたり「尾上吉五郎」を名乗っていました。





尾上邸外観見学 築200年超の住宅、石垣は地元の石。廻船業で財をなした尾上家の繁栄を語っていました。江戸時代の初めから広島は、廻船業に携わる人が多かった。明治の初めまでそれは続いていたようです。



青木地区へ移動、厳島神社で狛犬3対観察。 明治の半ば以降、島の基幹産業は石材業にシフトしていったようです。



三野石材さんの青木石丁場見学





最後に江の浦港にて産直品市。竹細工、皮細工や生の香川本鷹、干し柿など手作り感満載の、広島お土産を買って、帰路につきました。



天候もよく、スタッフ総勢33名と大変盛況でした。ご参加頂いたみなさま、そしてご協力頂いたみなさま、ありがとうございました。
丸亀広島の狛犬を巡ることで、気がついたことがあります。
一、瀬戸内の島々での浪花狛犬の大繁栄は、1721年以降の塩飽廻船業の衰退により、大坂商人が台頭してきたから。
一、大坂商人の寄進で瀬戸内の島々に狛犬が奉納されたと思っていたが、実は、その島出身者が「大坂〇〇」という名前で故郷に錦を飾っていることがある。
一、浪花狛犬が瀬戸内の島とさぬきの沿岸部に多く、内陸部にはあまり見られないのは、奉納者が廻船業関係の人が多かったから。
今回もたくさんの事を狛犬さんに教えてもらいました。
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