「小豆島と庵治半島の狛犬パネル写真展」➁L版比較

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小豆島の狛犬と庵治半島の狛犬を
一定の時代区分で区切って比較してみると
2つの地域の違いが見えてきました。
L版写真を奉納年代順に並べてみました。

①江戸時代は、両地域とも大坂から運ばれてきた砂岩で彫られていました。八栗寺には、1対阿波から運ばれてきていました。

➁幕末の頃、小豆島では、硬い花崗岩で
彫られた狛犬にかわってきました。作り手は、やはり小豆島の石工ではありませんでした。
一方、庵治半島では、庵治、牟礼の石工が彫ったものが見られはじめました。花崗岩製です。

③明治になって、日清日露の戦後、地元石工の活躍の時期がきました。浪花型をベースにいろいろなものを混ぜたような狛犬です。
庵治でも、浪花の扇尾、出雲型のとがった顔つきを合体させた庵治顔が流行ったようです。
庵治半島では、独自の型を模索するように石工達の作品が讃岐に広まったようで、「庵治型模索期」と呼んでみました。

④昭和戦前頃までに広まった庵治石工の狛犬は
戦後も小豆島、東讃地域に見られ、岡崎型の影響を受けて、ライオン風になっています。尾は浪花型の名残のように3峰が立っています。
戦後は県外の大きな神社にも、牟礼石工の銘が入った狛犬がみられます。近隣地域の狛犬もいろいろな作風が見られるようになり、「庵治石工展開期」と呼んでみました。

⑤平成の頃には、小豆島の狛犬はすっかり岡崎風になりました。全て島外からの運ばれものです。
一方、庵治半島では、幕末以来ずっと、地元石工作の狛犬が奉納されています。牟礼地区の石工銘の入った狛犬が多いようです。

一見、同じ花崗岩製の狛犬が座っていても、
小豆島の神社と、庵治半島の神社では、
狛犬の出身地は違うことがわかりました。

「石の島」小豆島は、その悠久の石の文化歴史を含めて日本遺産になりました。

庵治半島も天下の銘石「庵治石」をもって、石彫文化を脈々を繋いでいることを、改めてうれしく感じます。

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