海を渡る狛犬の様々な魅力とは

講演の最後に、お二人の講師の先生に今回のテーマ「海を渡る狛犬の魅力とは」と質問させていただきました。

「海を渡る狛犬の様々な魅力」
川野 明正
(明治大学)
3点お答えします

1.海を渡り日本で誕生した狛犬に、アジア各地のライオン像の諸要素を覗うことができる。
 中国大陸から日本に古墳時代の三世紀頃獅子が渡り、日本で「狛犬」という独自の霊獣像が獅子の相方として、平安時代の九世紀に誕生します。狛犬のなかには、中国由来の獅子や、メソポタミア起源の対偶(2体1対)のライオン像など、アジア各地のライオン像の「遺伝子」が含まれ、狛犬は、こうした伝播の末に誕生した「旅する霊獣」です。その姿に西アジアから東アジアまでの様々な文化要素の展開を見ることができることも魅力です。
 一例を挙げると、長江下流域の浙江省の獅子は、宋代から明・清代にかけて、そして現代に至るまで、神や位牌の先祖や埋葬者などの祀られる側から見て左の雄獅子が口を開け、右の雌獅子が口を閉じる体裁が多いですが、日本の福岡県宗像大社(むなかたたいしゃ)の中国石造獅子像(建仁元年・1201奉納)は、中国を含めても、この体裁の最古といえる獅子像です(宗像大社は神社なので、狛犬の位置づけで、神様から見て左に口を開けた獅子を配置し、神様から見て右に口を閉じた獅子を配置していますが、本来の置き方とは逆置きです)。「江南獅」(こうなんし)と呼ばれる長江下流域の中国石造獅子像の歴史的なありようを覗う貴重な獅子です。このように日本に伝わった宋代から明・清代の中国石造獅子から、中国での獅子像のありようを考察することができ、ここに海を越えて日中間で国際的な学術交流が必要とされる意義があります。

2.国家を越えた海域圏共通の石造物文化の共通性を覗うことができる。
 一つの海域で、国家を越えて、共通の獅子像の文化をもつ場合もあり、これも海を渡る獅子像の魅力です。一例として、東シナ海・南シナ海を通じて、シナ海域には共通の石造獅子・狛犬の文化圏を見出すことができます。
 十六世紀の東シナ海は、国境がない時代で、五島列島では、松浦党とともに明の海上勢力の王直が根拠地をもち、平戸でも鄭成功の父の鄭芝龍が根拠地をもっていました。
 福建省南部の金門島などに分布する「石獅爺」(せきしや)と呼ばれる石造獅子像や、沖縄の石造獅子像(シーサー)、九州北部の肥前狛犬は、こうした背景もあってか、眼を斜め上部に向けた頭部をもった共通の形態的特徴があります。私はこの種の獅子像を「〈向天眼〉系霊獣像」(こうてんがんけいれいじゅうぞう)と呼んでいます。
 また、こうした獅子像が、村落を守護する守護獅子として各地(沖縄・朝鮮半島南部・福建省南部・台湾南部・広東省西部・広西壮族自治区・海南省・ヴェトナム北部)に分布しており、共通の石造獅子像の文化圏があります。

3.日本を跳び出し海を渡った狛犬の東アジア石造獅子像への影響を覗うことができる。  中国大陸の獅子像の影響を受けて成立した日本の狛犬は、東アジア各地の獅子像に影響を与えてもいます。狛犬や沖縄の獅子像(シーサー)は再び海を渡って大陸側の福建省南部の獅子像まで影響を与えています。
 日本統治期の台湾に渡り、現地で台湾型石獅と混合してハイブリッドな獅子狛犬が出来た事例もあったり、台湾で第二次世界大戦後、尾道型の玉乗り狛犬や沖縄玉乗り獅子の影響を受けて玉乗り型の石造獅子が創り出され、さらに海を渡って大陸側の福建省南部でも流行している現状があります。
 このように、狛犬は日本を跳び出し、海外に伝播の流れを還元しているともいえます。この歴史背景には、大日本帝国による台湾植民地化と植民地政策による日本神道の普及による台湾宗教文化の変容といった負の局面も考慮しなければならないことは注意が必要ですが、日本統治期の台湾への狛犬の伝播を経て、第二次世界大戦後も台湾・中国南部に新しい獅子像を創出し、東アジア各地に還元していく狛犬の姿もあるわけです。
 アジアのライオン像は各地に伝播していますが、その一つの流れとして、日本の狛犬はかならずしも、日本だけが終着点ではないということ、ここに「海を渡る狛犬の魅力」を見出すこともできます。

藤原好二氏より 

「海を渡る狛犬の魅力」

狛犬を調べていくといろいろなことが分かってくると言うのが一番の魅力です。
狛犬の石工銘を調べていくと、石工の居住地から結構遠くに見つかることがあります。
例えば、岡山県倉敷市玉島の石工の狛犬を例にあげると、通常は岡山県内、遠くても広島県福山市ぐらいまでに分布していますが、遠く熊本県玉名市にもあることが分かりました。
なぜ、こんな遠くにあるのか考えると、狛犬の世話人が大きく関係していることがわかりました。玉島の商人の西国屋半十郎が世話人として奉納されたものであるとわかりました。さらに調べていくと、西国屋半十郎が世話人として奉納した狛犬が玉名市には他に3対あり、それぞれ大坂石工の狛犬、尾道石工の狛犬、下関石工の狛犬であることもわかりました。
西国屋半十郎は玉名市周辺を重要な取引先としてみており、玉名市域とのつながりを強固にするために狛犬の世話人を引きうけたと考えられますが、同時に大坂・尾道・下関とも強い商売関係があったことが分かります。
 このように近世の人々や地域のつながりを読み解いていけるのは大きな魅力と言えるでしょう。

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